商工ひのくに

この度、女性会へ入会致しました井手志保(シホサンフラワー 代表)と申します。笑顔溢れる皆様と活動が出来る事をとても嬉しく思っています。人生の成長の糧にできるよう様々なことを学ばせていただければ幸いです。

業種はカラーコーディネート、ぬりえプロデュース業務を中心に運営しており、8月に創業10周年を迎えました。カラーと出会ったきっかけは、私が老舗ユニフォーム会社に勤務していた時に、お客様からビジネスユニフォームを選定するにあたり何度も色の相談を受けていた事から、色彩を勉強するようになり、色の魅力に惹かれ、ちょうど30歳になる頃に次のステップを考えるようになり、現在に至ります。

熊本地震の際には、全国の同業者から、ぬりえや色鉛筆、いろがみ・・・様々な色がつく支援物資を被災されている皆様のメンタルケアに役立ててほしいと送られてきました。避難所に届け、色彩のワークショップをボランティア開催した経験をきっかけに、熊本の観光振興にもお役に立てればと、熊本城や熊本の観光スポットを題材にしたぬりえを完成させました。震災から5年を迎えた今年、地域の学校にも積極的にぬりえの寄贈活動を行うことができ、少しずつ地域貢献ができるようになり、嬉しく思います。

コロナ禍に入ってからは、私が企画・カラーデザインした「カラフルマスク」が完成し、大変好評をいただいております。その「カラフルマスク」は、今までの貴重なご縁により、前職の工場で製造していただいています。

この先も続く私の事業に向けて、足を止めることなく、大切に一歩ずつチャレンジしていきたいです。今年の4月から夜間の専門学生となってコロナ禍も前進あるのみで進んでいます。毎日充実しています!!

<商工ひのくに 9月号>

熊本商工会議所会報誌『商工ひのくに』

〈女性会活動報告〉より

(有)山崎保温 代表取締役 山﨑裕子と申します。私は、45歳でエレキベースを始めPTAのお母さん達とバンドを組むなどチャレンジ精神旺盛な61歳のおばちゃんです。

私が会社の代表取締役になって5年になります。5年前というと、ちょうど熊本地震が発生した年。近所の方の避難場所を作り、炊き出しや支援物資の供給を行い、テナントをレンタルスペースとして貸し出し・・・。わが社も地震被害を受けておりましたが、ボランティア活動からのスタートでした。

それからすぐに女性会との出会いがあり、パワフルで素敵な方達の集まりがある事を知り早々に入会させて頂きました。まだまだ未熟者の私にも優しく接して頂き、お話を聞くたび女性のパワーを感じ女性経営者として学ぶ事ばかりです。人吉の豪雨災害の際もボランティア活動にご協力頂き大変感謝しております。

結婚するまでは保温工事の事は、何も知りませんでした。与えられた仕事をこなす私にお手本となり女性パワーを見せてくれたのが会社の先輩でもある義母でした。

創立当時から義父を支え、会社をここまで導いてきたのは義母の力だといっても過言ではありません。そのような義母ですので厳しい所も多々ありましたが、今となって思えば会社を引き継げるように育てて頂いたのだと思っています。


今では娘達が入社し、事務だけでなく現場の仕事でも活躍しています。女性の細やかな心遣いで職場の雰囲気も変わり職人さん達にも笑顔が増えました。

義母から私、そして娘へと女性パワーを伝えて、若いエネルギーと色々なアイディアで、また新たな山崎保温を作ってくれる事を期待しています。

そして、私も会社の代表として娘たちに負けないようリーダーシップが取れて自身も輝き続ける女性になるため、これからも女性会で勉強させて頂きたいと思っています。

このたび、女性会で副会長を仰せつかりました。若輩者ではありますが頑張りますので、どうぞ宜しくお願いいたします!


<商工ひのくに 8月号>

熊本商工会議所会報誌『商工ひのくに』

〈女性会活動報告〉より

八代の女性会の立ち上げに携わっております、八代商工会議所 副会頭 の山本雅子です。
3 年前に熊本の女性会に加入し、例会には幾度か参加させていただいております。
初めて西村まりこ副会頭とお会いした時に、本社が八代にあるということで「是非とも八代商工会議所に女性会をつくって」と熱い思いを伝えられ、八代の方にも沢山の働きかけをしていただきました。
おかげさまで、令和 4 年度の設立に向け、昨年より十数名のメンバーで準備会を立 ち上げて活動を開始しております。
4 月例会は、2 日前にリニューアルオープンされたばかりの「城見櫓」、
 画家でジャズバイオリニストでもあるサン村田氏の卓話ということで、12 月例会でのお洒落で生命力に満ちたバイオリンの演奏がよみがえり、 期待に胸が弾みました。
真新しい店内は沢山のお祝いの花に囲まれ、会場に着くと、大きな窓から復興のシンボルの熊本城が広がりました。会場内は多くの女性会メンバーでさらに華やかです。

サン村田氏の暖かい雰囲気の風景画をバックスクリーンに流しながら、「僕には明日しかない」のテーマのごとく、冒険のような青春時代から今日までの夢のようなお話を伺いました。サン村田氏の好きな言葉で 「Just the way you are ―ありのままに、あなたはあなたらしく―」は、81 歳になられる今でもまさにそのように生きていらっしゃるお姿にピッタリで、私たちも「まだまだこれから」とパワーをいただきました。

例会終了後は、屋上で素敵な熊本城をバックに記念撮影。普段はゆっくり話せない八代メンバーとも、とても有意義なひとときを過ごすことができ、多くの学びと、これからの活動への活力をいただきました。
今後の勉強のためにも、また皆さんとの交流を楽しみにしております。この度はありがとうございました。(↑写真は卓話後のサプライズ)

<商工ひのくに 7月号>

熊本商工会議所会報誌『商工ひのくに』

〈女性会活動報告〉より

3月26日に那覇市の沖縄ハーバービューホテルで開催された第109回九州商工会議所女性会連合会(安東友子会長)の役員会に阪本会長はじめ垂見副会長、濱田副会長と4名で参加しました。(写真は安東会長とご一緒に)

新型コロナウイルス感染症の感染拡大予防措置等の取り組みが県や女性会ごとに異なることを考慮して、沖縄での会場参加型と、沖縄の会場には行かずにWeb配信映像の視聴による参加型との選択制で実施されましたが、何とか無事に終えることが出来て本当に良かったと思います。

議題は、令和2年度の事業報告・収支決算、令和3年度の事業計画・収支予算等でした。

「女性起業家への支援」や「新型コロナウイルス感染症終息後の消費喚起」など各地の特徴を活かしつつ、地域社会のニーズに対応した女性ならではの活動への支援を進めていくこととなりました。

役員会終了後には、「コロナ渦の中でも、社員エンゲージメントを上げるには」と題して早瀬京鋳氏(オリオンビール(株)代表取締役社長兼SEO)による記念講演会がありました。

早瀬社長は、小中高と熊本で過ごされたそうで、一気に親近感が湧きました。コロナ渦で酒類事業が大きく影響を受ける中、『とにかくアクションを』と新製品の開発やサービスの提供、更にSDGs(持続可能な開発目標)に積極的に取り組んだ結果、業績は悪いものの社員の会社への評価、モチベーションは高くなった事例を紹介。

社員は仕事を楽しみながらやっているか?という内容に、もう一度自分自身を見つめ直す良い機会となりました。(写真は早瀬社長とご一緒に)

最後に、福岡の安東会長や沖縄県の女性会の皆様と短い時間ではありましたが交流ができて本当に有意義な役員会となりました。ありがとうございました。

<商工ひのくに 6月号>

熊本商工会議所会報誌『商工ひのくに』

〈女性会活動報告〉より

梅花、春にさきがけて咲く 

                            監事 谷脇 美代子 


『どんなに辛くとも、梅の木の様に凛としていれば、必ず蕾はほころび、春の訪れが近い事を知らせてくれる』という意味です。先日、春の便りと共に私が敬愛する方から添えられた言葉です。

コロナ禍、私の気持ちをリセットさせてくれました。と言うわけで、今月の女性会便りには、心に響いた言葉をあと1つ紹介させて頂きます。

「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」これは“マー君、神の子、不思議な子” と田中将大投手を評した名監督・野村克也氏の言葉です。なるほど、その通り!! です。私達の場合は、成功と失敗に置きかえられるでしょうか・・・。失敗には必ずそれなりの理由があるものです。それが何だったか?と考える良い機会とし、ただでは起きない!!精神で、失敗を成功のもとにしてまいりましょう。

「若い時には流さなかった汗は 年を取った時の涙になる」さあ、今日も気持ちの良い汗をかきながら コロナ禍前進です!!

最後に、“ホテルサンルート熊本“について少し紹介させていただきます。

1975年開業、この3月で46周年を迎えました。69室の小規模のホテルだからこそのアットホームなおもてなしを大切にしてまいりました。

また、”ホテルサンルート熊本”が、夏目漱石の第一旧居跡であることもあり、8年前の改装の折は「熊本を愉しむ、旅先のマイルーム。」をコンセプトに畳敷きのお部屋を作るなど、漱石への想いを馳せながらのデザインとなっています。その和室は、小さなお子様連れのご家族に大人気です!!

▲お部屋 デラックスツイン ▼お部屋 和洋室

▲朝食は熊本の食材を使ったバイキング

コロナ禍、ホテルも泊まるだけではなく、「使う」「住む」といろいろな利用の仕方を提案しております。是非、お気軽にご利用下さいませ。

<商工ひのくに 5月号>

熊本商工会議所会報誌『商工ひのくに』

コロナ禍で令和3年も女性会活動を自粛中です。

〈女性会活動報告〉ページでは、

会員紹介及び近況報告や女性会への想いを掲載することにいたしました。

皆さん、こんにちは。森からし蓮根の森裕子と申します。

私が、森からし蓮根へわずか19 歳という若さで嫁いで、早五十余年の歳月が流れました。あっという間の五十余年です。

商家へ嫁ぐということに、それなりの覚悟はありましたが、大変なことでした。

優雅な妻の座など全くありません。いきなり3 時起きです。

森の父親は、それはそれは、今思えば立派な人物でした。何もわからない私に、森の歴史、しきたり、由来、からし蓮根の作り方等々、ひとつひとつ、丁寧に分かりやすく教えてくれました。その父が他界した時、弔問客の方から、「あ…、熊本の人間国宝が一人亡くなられた」と、涙をいただきました。

また、義理の母は、明治生まれのなかなかのしっかりした女性で、箸の上げ下ろしから、家庭のことまで厳しい人でした。今、思い起こしてみれば、私を十七代目の女将として、世間様に恥ずかしくないようにと育ててくださったのです。

そして、一番つらかったのは、昭和の終わりから平成にかけてです。辛い時の心の支えだった駆け込み寺の実家の母が急死。続けて、優しかった義理の父親が他界。追い打ちをかけるように、からし蓮根の食中毒…。辛い試練続きでした。

幾つもの試練を乗り越え何とか頑張り、回復の兆しが見えてきた頃、嬉しいことに長男が結婚!可愛い孫にも恵まれました。森は安泰だと平和な日々を送っていましたが、またまた試練…。長男の嫁が幼い二人の孫を残して、29 歳という若さで他界。私は気が狂ったように泣きました。やっと歩ける小さな足で、棺まで目覚まし時計を持って行き、「ママ!ママ!」と、泣いていた孫の姿は、今思い出しても涙々です。

その孫たちも皆様のおかげで立派な社会人に成長し、現在、森からし蓮根の跡取りとして頑張っています。たくさんの試練がありましたが、今の私を造る肥やしだったのだと思います。世の中すべてのことに感謝です。

<商工ひのくに 4月号>

熊本商工会議所会報誌『商工ひのくに』

コロナ禍で令和3年も女性会活動を自粛中です。

〈女性会活動報告〉ページでは、

会員紹介及び近況報告や女性会への想いを掲載することにいたしました。


コロナに負けない!熱く頑張る女性会です!

理事 安樂 美代子

コロナの終息を願う多くの人々の思いもかなわず、年明けから全国主要都市に緊急事態宣言が出てしまいました。熊本も県独自の宣言が出され、商工事業者の皆様も大変なご苦労が続いていることと思います。

私たち女性会のメンバーも苦慮しながらもそれぞれ事業に励んでいますが、直接会って情報交換やコミュニケーションを取ることができない状況には、皆、寂しい思いをしておりました。

そんな中、会員の思いを汲み取っていただいた会長のお声掛けにより、コロナ対策を万全にした「12月例会」が実現致しました。

会長のご挨拶の後、会頭から卓話をいただきました。会員の近況なども発表され、久しぶりに温かくホッとする時間が過ごせました。

中でも、人吉・球磨への災害支援に取り組む会員の話には、皆、感動・共感し、即、会場での募金活動が始まりました。

その際に集められた義援金は、被災地の子供たちにクリスマスプレゼントとして届けられたという報告を受け、自分たちもつらい状況の中、被災地支援に取り組む会員の姿には大変感銘を受けました。

女性会は、商工事業に励む女性の集まりです。

活動目的は、

『女性経営者(管理者等含む)等の向上と会員相互の親睦を図り、商工業振興および社会福祉の増進に寄与すること。』

これからも、皆で仲良く事業の発展に取り組み、社会への奉仕も続けていきたいと思います。

<商工ひのくに 3月号>

女性会に入会して思うこと

名誉会員 木村 幸子

私が女性会に入会したのは40年位前で当時は「二水会」※といった名称だったと思います。友達から夜に商売の勉強会があるからと誘われ、1日の仕事が終ってから行くことができるため入会をさせていただきました。

初めて例会に行った時のことです。皆さん年上の方ばかりで立派な大きな店のオーナーの方達の様に見えました。恐る恐る部屋に入りましたら、笑顔で「よく来られましたね」と拍手をしていただきました。色々な業種の方の話、自分が知らなかったことを教えて下さったこと、仕事の苦労話や楽しかったことなど様々なことを話してくださり、今でも時々思い出します。

また、商工会議所婦人部の全国大会や九州大会に出席して、たくさんの出会いがありました。

大会や総会後には、旅行気分で各地の観光地へ行きました。視察(旅行?)を通してメンバーと仲が深まり、仕事の悩みや苦しみを解決し、楽しみを見つけるためにはどうすれば最善の方法かということなど、同じ商売人で色々話し合える友達が出来たことは私の一生涯の宝物といえます。これから先も女性会の仲間たちがお互いに助け合い、励まし合って様々な困難を乗り越えられるようにと願っています。

※昭和56年から平成3年までは、熊本商工会議所婦人研究会と熊本市商店婦人研究会(二水会)との2つの名称で活動

<商工ひのくに 2月号>

熊本商工会議所の会報誌『商工ひのくに』

コロナ禍で令和3年も女性会活動自粛をしています。

〈女性会活動報告〉ページでは、会員のご紹介及び近況報告や

女性会への想いを掲載することにいたしました。

南区川尻町へ帰って来ました!

名誉会員 木村 幸子

当社、「(有)木村ガーデンセンター」は、川尻町でガーデニング・盆栽用資材、植木鉢、花苗、生花等園芸用品等を販売しています。現在、五代目の社長が経営をしています。

明治30 年頃に製油所とからしの販売で創業し、昭和40 年より園芸や植木鉢、資材、切り花の小売を始めました。時代の流れで製油所はやめましたが、車での来客が増え手狭になったため、平成5 年に500 メートル先の八幡町に約700 坪の土地を借り、2 階建の店舗と温室を建て移転しました。

夫(四代目社長)と私、従業員、パート様で毎日毎日、忙しく楽しく仕事をしました。息子(五代目社長)は大阪で就職し違う業種に勤めていましたが、夫が病に倒れたため、私たちの願いを聞き入れ帰熊して事業を継いでくれました。それから約1 年後、夫は亡くなりました。

息子が商売を覚え落ち着いてきた頃、熊本地震が起きました。陶器や植木、植物が破損し廃棄となりました。残念で悲しかったです。しかし、「以前買った植木鉢はないか」とか「用土を買いたい」と遠方よりお客様が来て下さり、地震の後片づけをしながら店の営業をしました。

川尻の自宅は全壊しました。住居がなくなり八幡にある会社の倉庫で3 年半生活をしました。お客様からの激励の言葉、店の種子で育てた野菜をつかった料理や衣類等をいただき、温かい心に触れると毎日の仕事の疲れがとれて、「地震には負けられない。感謝の気持ちをバネにガンバロウ!」と思いました。

令和元年、川尻に店舗と自宅を建て、移転することができました。何度でも再出発できるようです。

<『商工ひのくに』1月号>

コロナ禍で令和3年も女性会活動を自粛をしています。

〈女性会活動報告〉ページでは、会員の紹介近況報告を兼ねた

女性会への想いを掲載いたしました。

今年もよろしくお願いいたします。

全国商工会議所女性会の皆様に届けます
「熊本は元気です!!」 

副会長 垂見和子

 コロナは夏の暑さの中でも弱まることなく、私たちの暮らしにドンドン入り込んできました。そして7月の球磨川大洪水。昭和40年の大洪水を上回る、記録上最大の浸水深となりました。コロナ禍の中での避難、復旧作業はまさに初めてのこと、茫然となりどうなることかと・・・。

しかし県をはじめとする流域市長村の自治体の方々、なにより被災地の方々が、生活を取り戻そうと泥に流木にと立ち向かわれる姿には心打たれるばかりです。

 ボランティアの声も次々と上がり、コロナ禍という制約があるなかでも皆さんが夏真っ盛りの中で、コロナや熱中症対策に知恵を絞りだし、力を合わせながら懸命な復旧作業。これが火の国熊本の勇ましさ、たくましさ、アツさなのだと心打たれます。

 そして皆が待ちに待った阿蘇ルートの開通。私自身も「やった!」と叫んでしまいました。4年前の地震で大被害を受けた阿蘇がさらに魅力的な姿になって戻ってきました。

 一重にも二重にも大災害に見舞われ、被災された方々のご苦労はいかばかりかと言葉にもなりません。しかし確かに熊本は前を向いて歩いています。いろんな生業、暮らしを抱えながらも手を取り合いながら必死で乗り越えようと頑張っています。有難いことに全国女性会の方々から、お見舞いや激励のお言葉をいただき、私たちの大きな勇気の源となっています。このご支援を糧に、もっともっと魅力的な熊本をみんなで創り出していくことが恩返しになるのかもしれません。

その思いをこめて、県内の女性会が一緒になって「元気な熊本、女性会」と名打ったメッセージ動画を制作発信できたら。そして全国女性会の方々にも「有難うございます。私たちは元気です。まだまだ頑張ります」と肥後の猛女ならではの声をお届したい。それが熊本女性会の新たな一歩になることを願ってやみません。

<商工ひのくに 12月号>

熊本商工会議所の会報誌
『商工ひのくに』〈女性会活動報告〉ページでは、

コロナ禍で女性会活動自粛を余儀なくされているため

会の活動が特になかった場合は、

会員のご紹介及び近況報告や
女性会への想いを掲載することにいたしました。

不安と不自由を経験した私たちができること

理事 藤平佳子

8月25日 女性会の有志達で球磨村神瀬の災害ボランティア活動に参加しました。人吉から球磨村に入った途端、風景が変わりました。報道で見聞きしていましたが、実際に見た風景は筆舌に尽くしがたい状況でした。(国道219号線は、法面が崩れ道路が狭くなっているところがあります。※通行許可証が必要)鉄橋が落ち、2階にまで水が達した跡がある家や土砂に埋もれた家。道路も狭まり、まだまだ手付かずの状況です。被害に遭われた方々はどんなに不安な思いをされているだろうかと胸が痛くなりました。神瀬保育園へ支援物資をお届けし、公民館の清掃をさせていただきました。7月豪雨からもうすぐ2ヶ月が経とうとしていますが、元の平穏な暮らしへ戻るにはまだまだ時間がかかりそうです。微力ですが、これからも応援したいと思いました。

後日談ですが、弊社のお客様で人吉市内に事務所をお持ちで、球磨村渡地区にご自宅がある方に当日の様子をお尋ねしました。「夜中に近所の人から『避難するよ!』と連絡をもらい、慌てて必要最小限の荷物を持ち、避難した。雨は降り続いていたがここまで酷くなるなど予想しておらず、後で荷物を取りにいけると思っていたが、屋根が少ししか見えないくらい浸かってしまった。連絡がつかなかった近所の人が亡くなってしまった。川の向こう岸に親戚がいるが、橋が落ちてしまったので20分で行けたところが1時間半もかかるようになった」と答えてくれました。実際に災害に遭われた方のお話を聞き、「まさか」ではなく「もしかしたら」と思い早めに行動することが大切だと改めて感じました。

最後に、清掃作業や支援物資の受け取りなど現地で手配してくださった保育園の方々、通行許可証などナビゲートして下さったかめきちさん、大変お世話になりました。そして、支援物資のご協力をいただいた皆様ありがとうございました!


<商工ひのくに 11月号>

熊本商工会議所の会報誌『商工ひのくに』では、
<女性会の活動報告>を掲載しています。

災い転じて福となす-支えられていることに気づき-

会員 宮川 いつ子

今年に入り県知事再選で経済界も安堵したのもつかの間、思いも寄らないコロナ渦、その勢いは止まることなく、今も猛威を奮い続けています。

また7月の豪雨は、人吉、球磨、八代他県内各地に甚大な被害を及ぼしました。数年前の人吉商工会議所女性会との交流会。美味しい昼食をとりながら、人吉と熊本、お互いの活動の情報交換をしたあの人吉のお店も、床上2メートルまで浸水されました。しかしそのような大変な状況のなか、厨房設備を復旧し、4日後には、キッチンカーで炊き出しを開始。連日300食を無償で配食されています。皆さんと一緒に訪れた青井阿蘇神社、人吉商店街、人吉駅のからくり時計などなど・・・被害の甚大さは想像を超えたものでした。

 

私共「おーさぁ」は、デンマーク語で「~も一緒、~もまた」という意味を持つ単語に由来しており、さらに熊本弁で人の「おーさぁ(多さぁ)」の意味でネーミングされて、連日全国からの視察で賑わっていましたが、今は自粛ムードで地域の縁がわ(交流の場)の喫茶バイキングも、3月から営業を停止しています。介護、保育園も近隣に感染者が広がり、不安な毎日です。

そのようななか、数ヶ月ぶりに女性会例会が開催され久しぶりに皆さんにお会いし、コロナ渦でも頑張っている元気ハツラツなお一人おひとりの笑顔!なんて女性会って素晴らしいのだろう、さすが代表で頑張る経営者のパワーは違うなぁと、たくさんのエネルギーをいただきました。小出さんのいつもの熊本弁でのシャンソンソングも癒されました♪

女性会の皆さんの優しさ、思いやり、きっと熊本に与えられたこの試練は、災い転じて福となすでしょう。


<商工ひのくに 10月号>

熊本商工会議所の会報誌『商工ひのくに』
<女性会の活動報告>を掲載しています。